Live Love Laugh, Sincerely.

スピリチュアリストミディアムのテリーが綴るブログです。

スピリチュアルメッセージ 2018年2月20日

おはようございます。テリーです。

2月も終盤に差し掛かりましたね。
時間の経つのが本当に早いです!

さて、今日はスピリチュアルメッセージの掲載日ですが、その前にまずお知らせを2件。



🌸お知らせ〈その1〉
AFCでの研修のため、来月またイギリスへ向かうことになりました。
そのため、3月20日より4月4日まで、お休みをいただきます。

この間にお誕生月セッションをと思っておられた方、ごめんなさい。
そのかわり、3月生まれさんへのセッションを4月20日まで期間延長で提供させていただきますので、宜しくお願いいたします。

尚、渡英中も帰国後(4月5日以降)のご予約を受付けます。
但し、メールのみの対応となりますのでご留意ください。
現地スケジュールや時差の関係でお返事が少し遅れてしまうかもしれませんが、できるだけタイムリーな対応を心がけますので、何卒ご了承いただけますようお願いいたします。



🌸お知らせ〈その2〉
毎月20日に掲載しておりますスピリチュアルメッセージですが、都合により、来月から暫くお休みをいただきます。
毎回楽しみにしてくださっている方々には申し訳ございませんが、再開まで少しお時間をくださいね。

その他の連絡事項につきましては、変わらず、その都度このブログのページを通じてお知らせします。
また、その他の記事も不定期ですが、必要に応じてUPしますので、今まで同様、宜しくお願いいたします。



以上、お知らせでした。



さぁ、ではそろそろ本題へと移りたいと思います。
今回はいつものお花のカードからインスパイアされるメッセージではなく、グリーフケア(ご家族や身近におられる大切な方を亡くした後の悲しみを乗り越えるための手立て)をテーマにお話をさせていただきたいと思います。

(かなりの長文になる見込みです。あしからず。)



私はミディアムとして、この世とあの世を繋ぐことをお役目としています。
個人セッションでは、現世における局面に対する霊界からのメッセージをお伝えする「スピリチュアルガイダンス」も提供してはいますが、この世とあの世を繋ぐという意味では、「スピリットコミュニケーション」を通じて、この世のお役目を終えて純粋な魂の存在となって霊界に帰られた方々と、そのご遺族とのコミュニケーションの仲介役になることは非常に大切な役割であり、実際のところ、それが私の本分だと思っています。



この世に生きる私たちは、自由意思と自己責任のもとで、自分の人生を寿命のある限り歩んで行かなければなりません。
失敗したくない、痛い目にも遭いたくないと思うのが人の常ですから、できれば問題を回避したいし、渦中にある時には、どうすればいち早く抜け出せるかということだけに、どうしても重点をおいてしまいがちです。
けれど、人生における学びは「結果」より、むしろ過程で得るべきものの方が大切なのです。

スピリチュアルガイダンスを「お伺いを立てる」的な発想で受けに来られる方がおられますが、自由意思と自己責任が生きる上での基本的な霊的真理である以上、霊界から「〇〇しなさい」というような具体的な指示・司令が与えられることはあり得ません。
もし、そんなことが起きたとすれば、それは巷でしばしば問題になる操作(マインド・コントロール)ですし、霊界がそんな理に反したことをするわけがありません!!

あと、「私の守護霊さんに、私がなぜこの世に存在するのか、何をすべきなのか聞いてください」とおっしゃる方がたまにおられますが、これもナンセンス。
私たちがそれぞれの人生で何を学ぶかは、予め自分で計画して生まれて来るとは言われていますが、その内容が分かってしまったら、もうそれは学びではなくなってしまいます。

学習ドリルの問題の答えを最初に見てしまったら、どうなりますか?
本当に学ぶべきものが学べなくなりますよね?
それと、理屈は同じです。

勿論、ポテンシャルをお伝えすることはあります。
けれど、ポテンシャルはあくまでポテンシャル。
それを現実のものにするかどうか、またどのように実現するかも、全てご本人の意思と選択にかかっています。

ですから、私のスピリチュアルガイダンスのセッションは、霊界から「人生をどう生きれば良いか?」「何をすれば良いか?」への「回答」を得ることを目的にしたものではなく、あくまでも現時点における、ご自身なりの「気づき」のための機会だと、ご理解いただきたいと思います。



それに対して、亡くなられた方との交信には、ミディアムは必要不可欠な存在です。
また、ミディアムの仲介によるスピリットコミュニケーションは、「死」を正しく理解し受け入れ、正しい死生観を育む一助としても有効なものであり、これは、現在の社会におけるニーズとしては非常に大きいと、私は常々感じています。



死は、何をもっても避けられないものです。
そして、この世の私たち全員が、いつかは死を迎えます。

でも、死は不吉で忌み嫌うべきものと捉えられてしまいがちなため、多くのケースが、死に直面する当事者にとっては、とてつもない恐怖であり、見送る側にとっては喪失以外の何ものでもない。

これは、とても残念なことです。
なぜなら、死が何からの手段をもって回避できるのなら、忌み嫌って寄せ付けないようにするのも尤もでしょうが、死は自然の摂理で、私たちにはコントロール不可の現実である以上、もっと前向きに正しく理解した方が、逝く者にとっても、あとに残る者にとっても良いからです。

そして、正しい死への理解は、正しい生き方へと、必ずつながります。



生と死は1つのサイクルです。
生が昼だとすれば、死は夜。
死は終わりではなく、無になることでもありません。

死後の世界は、言ってみれば、昼間の月のようなもの。
陽が出ている時には見えませんが、だからといって、月が消滅したわけではありませんよね。

また、霊界は空の彼方にあるわけでも、三途の川に隔てられた遠い遠い地の果てにあるわけでもありません。
もちろん、亡くなった方が星になることもありません。

霊界は、この世と共存しています。
肉体がなくなって魂だけの存在になるということ、即ち、我々より高い波動の「エネルギー体」になるというだけのことです。

私たちにもエネルギー体はあります。
いわゆる「オーラ」がそれです。
でも、この世(物質界)に存在するためには肉体が必要なので、どうしても生身の人間は物質的観点で肉体重視になってしまいます。



霊界からは、こちらがちゃんと見えていますし、私たちの思いも、あちらの方々はテレパシーで瞬時に受け取っておられます。

こちらから霊界は見えませんが、これも先程の昼と夜の例えに等しく、この世の我々は夜間に電気のついた室内にいるようなものなので、真っ暗な外の様子は見えませんが、外からは明るい室内がハッキリと見えるのと同じことです。

ただし、これはあくまで例えであって、実際の霊界は「純粋な『光』の世界」であり、闇に包まれた暗黒の世界ではありません。



一般の方は、いくら亡くなられた方の存在を身近に感じたくても、故人はもはや肉体を持って物質界におられる存在ではありませんから、それなりの手立てをもってしか、なす術はありません。
その一つがミディアムを介してのスピリットコミュニケーションであり、またそのお役目こそが、ミディアムの本領発揮の場とも言えます。



スピリットコミュニケーションを受ける方の多くは、グリーフケアを目的にしておられます。

グリーフは、その方と故人との関係性・年齢・死因・死別時の状況などによって異なりますから、比較的早く乗り越えられる方とそうでない方がおられます。
また、グリーフにはプロセスがあり、その方なりのプロセスを経る必要があります。

このプロセスについてを分かりやすく説明している本があります。
グリーフの渦中にある方は、ご自身が今どのあたりにいるのかを知ることも、きっとプラスになるはずです。
良かったら、読んでみてください。

キャサリン・M・サンダース著「家族を亡くしたあなたに」(ちくま文庫



ところで、最近、私のもとへスピリットコミュニケーションを受けに来てくださる方以外の、例えば、ミディアムシップの生徒さんやセミナーの参加者さん等の中にも、まだまだグリーフケアが必要な時期におられる方が、思いのほか多いことに気づきました。
中には、もう長い年月が経っていて、ご自身でもグリーフが完全には終わっていなかったことに今更ながら気づいて驚いている方もおられたりします。

つい先日、「最近、私の周囲にグリーフケアが必要な方が増えているのはどうしてなんでしょうね?」と霊界へ質問を投げかけたら、すかさずガイドさんから「然るべき結果です。それを望んでミディアムになったことをあなたは忘れたのですか?」との指摘を受けました。

そう、実は、私がミディアムの道を歩もうと決心したのは、母の死があったからなんです。

私の母は、11年もの長きに渡るガンとの闘いの末、帰天しました。
享年68歳。

女性の平均寿命がゆうに80歳を超えている現在。
あと1ヶ月ほどで還暦を迎える私自身の人生に照らし合わせてみても、母の死は早過ぎました。

そして、私は母の死によって、自分自身のあらゆる感情と向き合うことを余儀なくされたのです。
一番大きかったのは、後悔と自責の念でした。

私は、死後の世界があることを理解してはいたつもりでした。
でも、その頃はまだ十分な正しい知識を持っていなかったのだろうと思います。
今となってはその体験が私の人生にとって大きなプラスとなったことが分かりますが、その頃の日々は本当に悲痛以外の何ものでもありませんでした。

私のグリーフ体験については、それまでのライフストーリーや母の生きざまを語る必要があり、とてつもなく長くなりますので、ここでは触れませんが、私の場合には幸いにも、生まれつき霊的感覚が備わっていたこと、そして母も霊的能力に長けた人だったこともあって、母が亡くなった約半年後に起こった霊的現象によって、いともアッサリと解消するに至ったのですが・・・

その顛末については、また後日ゆっくりお話しできる機会もあるかと思います。



ともかく、私が深い悲しみから抜け出た後も、その霊的体験を単なるラッキーなインシデントで終わらせてはいけないという声が聞こえ続けました。
そして、「私が霊媒体質に生まれついたのには意味があるはず。それなら、死別の苦しみを味わっている方々のために自分を役立てよう!」という思いに駆り立てられたのが、私のミディアム人生へのスタートラインです。

ちなみに、今でも母は恋しいですし、寂しいですよ。
一緒にいたら、こんなことも、あんなこともできるのに・・・
そんな空想をしてみたりすることもしばしば。
でも、喪失感や絶望感は全くありません。

亡くした後の悲しみを乗り越える=その人の存在を忘れるではありませんからね。



身近な方を亡くした後に霊的な現象を体験する方は少なくありません。
けれど、実際に目に見えるもの・聞こえるもの・触れられるものだけが真実で、それ以外は信じられないという方にとっては、その現象は単なる錯覚か、はたまた恋しい人を思う余りに創り出した妄想や幻覚の類として片付けられてしまうケースもあり、これは大変に残念なことだと思います。

私たちが、この世に肉体を持って存在している以上、そうでない方々(死によって肉体という束縛から解き放たれて故郷(霊界)へと帰られた方々)のことをどこまで実感できるかに限界があるのは当然です。
でも、愛する家族や大切な人を思う気持ちは、亡くなった方も同じです。
実際、セッションの際に、いつ、どんな時に自分がそばに来ている(いた)かの詳細を伝えてくださる故人さんは決して少なくありません。

お孫さんの運動会を見に来ておられたお祖父ちゃん。

食事の支度をするお母さんの様子を、キッチンのそばにある階段の中ほどに腰掛けて、いつも見ている息子くん。

遺品の縫いぐるみを愛しそうに抱いて涙しているお母さんを、申し訳ない気持ちでハグしている娘さん。

ベッドの脇に座って、眠る奥さんの寝顔を見ながら、やさしく頬に手を当てている旦那さん。

挙げれば、本当にきりがありません。

つい最近では、遺品整理に心を痛めておられたお母さんに「僕の本はもう要らんねんから、さっさと古本屋さんに売ったらええやん!」と、割り切ったことを言った息子さんもおられました。
参考書ならお金になるはずだからと、それらが置いてある本棚の特定の段を私に見せてくださったので、そのままをお母さんにお伝えしたら「確かにあります」とのことでした。



ちなみに、日本の習慣では、お盆にしか死者はこの世に戻って来れないことになっていますが、そんなことはありません。
来たいと思えば、いつでも側に来て、ゆっくり一緒に時間を過ごしておられる方も多いです。
生前の日常が、霊界へ居場所を移すことによって急変するということも、どうやらなさそうです。

常々言っているように、私たちの本質は魂であり、肉体は、魂がこの世に成長を目的として存在し様々な行動・体験を通じて学ぶために必要だから有しているだけにすぎません。

肉体があって魂があるのではなく、魂があってこその肉体だということを忘れないでください。

肉体という、まるで我々が肌を覆うためにまとう衣類と同じようなものを脱ぎ捨てる時(死)が来ても、魂そのものの存在が削除されることは絶対にありませんし、その魂が経験したことも、個性も感情も思い出も、何一つ消え去ることはないのです。



霊界の方々とコミュニケーションを取らせていただいて、いつも羨ましく感じるのですが、本当にあちらでは、皆さん穏やかに暮らしていらっしゃいます。
どのような最期であっても、それは変わりません。

病や事故で傷ついても、それは肉体に起こったこと。
魂は傷つきませんし、肉体を脱げば、肉体的苦痛からも瞬時に解放されます。

死を不吉なものとして忌み嫌うことが当たり前になっているので、ついついあの世の方々を哀れみの対象としてしまうのが本当に残念です。

そして、あちらの方々が皆さん口を揃えておっしゃるのは、この世に残った方たちに幸せで微笑みを絶やさずにいて欲しいということ。
そのために霊界から生前と変わらず、いや、実際にはそれ以上に純粋な「無償の愛」をこちらの皆さんに注いでおられますし、側で見守ってもくださっているのです。



たまに「テリーさんはミディアムだから、死に対する悲しみはないんでしょうね?」と尋ねる方がおられますが、それは全くの誤解です。
この世に共に在った人たちとの別れは、ミディアムであろうが何であろうが悲しいに決まっています。
霊界とのアクセスが可能だからといって感情が麻痺するものでもありませんし、冷血人間になるわけでもありません。
勿論、死を軽んじることも決してありません。

実際、母を亡くした数年後に親の代から家族ぐるみで懇意にしているご家族の娘さんが亡くなり、そのまた後には私の父を見送って、3年ほど前にも40年来の親友を亡くしましたが、どの時も本当に悲しかったです。

加えて言うなら、子供のように可愛がっていた愛犬との別れも。

大泣きもしましたよ、涙で目の周りに疱疹ができるほど。

ただ、私は死が永遠の別れではないことを実感していますし、その人たちの存在の仕方が、取り敢えず現時点では(私がまだこの世にいる間は)違うだけだということが分かっていますから、物理的に執着せずにいられることは確かです。



別れに対する悲しみは感情ですから、理屈で簡単には片付けられないことの方が多いです。
だから、グリーフの期間は、その方なりのペースで、必要な手立てをもって、努力は必要ですが、無理をしないやり方で乗りきるのがベスト。

渦中にいるときは、見るもの・聞くもの・感じるもの全てに現実味が感じられなくて、自分が抜け殻になってしまったように感じることもあります。
この苦しみがいつまで続くんだろう?と、絶望的になることもあるでしょう。

でも、その苦しみから抜け出せるときは必ず来ます。

悲しんではいけない!泣いてはいけない!と、歯を食いしばって我慢しているうちに自分の感情に麻痺してしまう方もおられるのですが、「感じない=解消した」ではありません。

悲しむべき時には悲しみ、泣くべき時には泣いておかないと、感情が抑圧されてしまって、いつまでも解放されないという、逆にもっと厄介なことになるケースもあります。



人それぞれに考え方は違いますし、死後の世界と魂の永続性を真実として受けとめ理解・実感し得るかどうかは、個々それぞれの意思と選択の自由に委ねるしかないでしょう。

ですから、スピリットコミュニケーションが、グリーフケアを必要としておられる方すべてに必ずしも有効だとは言い切れませんが、でも、もし私がミディアムとして、お役に立てそうだと思う方がおられましたら、どうぞいつでもお気軽にお声をかけてくださいね。



最後に、私のメンター(師)であり、大いに尊敬する英国人ミディアムのお一人でもある Minister Matthew Smithに教えていただいたHenry Scott Hollandの詩 “Death is nothing at all” を皆さんにご紹介したいと思います。

原文は英語ですので、私なりに翻訳してお伝えしますね。


死なんて、なんてことないわ。
ただ、私の居場所を隣の部屋へと移しただけ。
私は今でも私。
あなただって、今でもあなたでしょ。
お互いの関係が変わることなんてない。

私のことはいつも通り、呼び慣れた名前で呼んで。
話しかけるときは、いつもの調子で気楽にね。
口調を変える必要なんてないわ。
改まって厳粛になる必要もないし、
悲痛なトーンで話しかけたりもしないでね。

いつも通りに笑っていてね。
お気に入りのジョークに笑い合った、あの調子で。

楽しく微笑みながら、私を思い出してね。
そして、祈る時には、私のためにもお願いね。

今までと同じようにいさせて。
そこにいないからって、特別扱いされたくないの。
悲しみの対象にもされたくないわ。

何も変わったわけじゃない。
在るべきものは決して無くならないわ。
見えないからって、
私の存在がなくなったとでも思ってるの?

ほんの束の間よ。
心配しないで、
あなたのことはちゃんと待っているから。
あなたには未知のところだろうけど、
でも、すぐそばよ。
すぐそこなのよ、私がいるのは。

何も問題なんかないわ。
過去に葬り去られたものなんて何もないし、
無くなったものもない。

あなたもそのうち分かるわ。
全てが今まで通り、
いえ、それ以上に素晴らしく感じられるはずよ。
だって、私たちの絆と幸福は、
永遠に神に守られているんですもの。


いかがでしたか?
堅苦しくならないように、私が伝える立場になったつもりで翻訳したので、女性の話し言葉になっちゃいましたが、意図は伝わったこととと思います。



長々と書いてしまいましたが、大切な方を亡くされて悲しみの中におられる方々、どうか霊界の実存と魂の永続性という真実を正しく理解すると共に、霊界からの愛と意志をしっかりと感じ受取りつつ、勇気を持って毎日を生きてくださいね。

霊界の住人となったあなたの大切な方は、あなたが健やかで幸せに、そしてあなたにとって最良の人生を全うできるよう、いつも側で見守ってくださっているのですから。


ではまた・・・

Love and Light ❤️✨

Terri