Live Love Laugh, Sincerely.

スピリチュアリストミディアムのテリーが綴るブログです。

グリーフを乗り越えて 〜「スピリチュアリズムと私」

こんばんは、テリーです。

私は、一人でも多くの方に「本当のスピリチュアルとは何か?」そして「正しい生き方とは何なのか?」を理解していただきたくて、「スピリチュアリズムのフィロソフィー」の講座を提供しています。

以前はグループセミナーでしたが、コロナ禍を機に《スピリチュアリズム個別講座として、マン・ツー・マン スタイルに切り替えました。

グループでは、どうしてもお互いを気遣って、言いたいことや聞きたいことがあっても遠慮してしまう等あったようですが、個別にしてからは、そのようなこともなくなり、それぞれの方のペースとニーズに合わせた形で対応させていただけるようになりました。(これに関してはコロナに感謝です)

受講者の方々は、男女共に年代も様々で、スピリチュアリズムを学ぶに至った理由や動機も様々です。

場合によっては、レクチャーの合間に瞑想の行い方をお伝えしたり、スピリチュアルヒーリングを受けていただくこともあります。

そんな中、お母様との死別を機にグリーフケアの一環としてこの講座を受講し、その結果、ご自身の目覚ましい変化と成長を実感している方がおられます。

現在は更に学びを進めて、スピリチュアルヒーラーを目指してお勉強中なのですが、そのトレーニングの過程で「スピリチュアリズムと私」というタイトルでエッセイを書いていただきましたので、ご本人のご了承を得て、ここにその内容の一部をご紹介させていただきます。

スピリチュアリズムと私》

私とスピリチュアリズムとの出会いは、母を亡くしたことがきっかけでした。それまでもスピリチュアルには関心があり、いろんな本を読んだりして多少は知っているつもりでいました。しかし、正しい知識と理解がなかったため、私の知っているスピリチュアルは、母を亡くした私の悲しみを、ほんの少しも救ってはくれませんでした。

母との死別により、私はひどい喪失感に陥り、もう二度と会えないという絶望感、もっとこうしていたら、ああしていたら・・・という後悔、母に申し訳ないと思う気持ち、自分を責める気持ち、どうしようもない思いばかりが頭の中をぐるぐるして、前を向くことができず、深い悲しみの渦中にありました。できれば母のあとを追って死んでしまいたいと思うような毎日だったように思います。

そんな時、たまたまミディアムシップ(霊界通信)という言葉、そして、ミディアムというお役目の方がこの世には存在しているということを知って、私はテリーさんのもとへ出かけて行きました。そして、母と再会することができたのです。

母の言葉を聴き、母の存在を感じることで、私は魂の永続性を確信し、私の中で大きな癒しが起こりました。死は終わりではなく、魂として今も生き続けている。そのことが分かっただけでも、愛する人の存在を感じながら生きていくことができます。母を想い、繋がることができるからです。私は救われました。胸のつかえが取れたように楽になったのです。それと同時に、自分の中から何とも言えない不思議な力が湧いてくるのを感じました。それは、スピリチュアリズムを正しく理解したい!学ばなくては!という衝動的な思いでした。そして、そこから私の霊的な学びが始まったのです。

近代スピリチュアリズムの基礎である「七大綱領」を中心に学びを進めるに連れて、私は何度も目の覚めるような思いがしました。自分は何なのか・・・何のために生まれてきたのか・・・辛く悲しい経験は何のためにあるのか・・・。自分の根源がどこにあるのかを理解できるようになってくると、人生の見方が変わり、私の死生観は大きく変化しました。愛する人との死別という一見つらい体験は、私に魂的な変化を促し、霊的な視点で自分の人生を見つめ直すというターニングポイントになったのです。母の死が、そのきっかけを与えてくれたのでした。

スピリチュアリズム」とは、生き方のことで、魂の成長のために自分の人生をどのように生きればいいのかを示す「指針」のようなものだと、私は思っています。これまでの、私が知っていたスピリチュアルは、どことなく掴みどころがなく、ただ耳に心地よく、曖昧でふわふわしたものでした。どの情報を信じていいのかよく分からず、なんとなく書物の中だけの世界というような印象を持っていたかも知れません。しかし、今回、「スピリチュアリズムのフィロソフィー」をきちんと学んでいくことで、多くのことを理解できました。

魂の成長は、一人一人の責任、一人一人の生き方の問題であり、それは実生活において個人個人で実践していくものだと理解しています。たぶん、誰の人生にも自分ではどうしようもない出来事に直面した時、自らの本質に気づくチャンスが与えられるのだろうと思います。そして、準備のできた魂は、真理を受け入れ始め、変容を図るのでしょう。

シルバーバーチもこのように言っています。「自分が本質において永遠なる存在であり、何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きても意気消沈することはありません。霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです」

私は、スピリチュアリズムを学び始めてまだ数ヶ月です。それでも以前の私とは大きく変わったような気がしています。きっと成長できているのだろうと思います。

母がいなくなった寂しさは今もあります。けれど、もう二度と会えないという絶望感や喪失感からは解放されました。母は、母なりの人生を全うし、自らの人生を生き切ったのだと思えるようになりました。

また、今回の学びで、私は人の死の尊さを深く理解することができるようになりました。人生というものは、誰にとっても決して楽なものではないと思います。困難から学んでいかなければならないという、私たちの地球での人生は、穏やかな日ばかりではなく、抗えないような悲しみや試練の繰り返しです。その中を懸命に生き抜いた人の死は、なんと尊いのでしょうか。生きる意味を知ったからこそ、死は尊ぶべきものだということも、今ではとても良くわかります。そして、母が身をもって教えてくれた「生きる」という意味を、今度は私が自らの人生を全うすることで還して行きたいと思います。(兵庫県在住 M.S.)               

さて、いかがでしたか。

どのような出来事が学びや気づきへと導いてくれるかは、人それぞれです。

でも、もし今あなたが自らの生き方や人生を見直したいと思うような状況であれば、是非、スピリチュアリズムのフィロソフィーを学んでみてください。

今まで見えなかったこと・気づかなかったことに意識が向いてくれるようになるはずです。

なぜなら、私たちの人生の中で起こる事は、例えそれがどんなことであっても、事の良し悪しに関わらず、近代スピリチュアリズムの基盤となっている「七大綱領」に該当しないことはないからです。例外はありません。

そして、その7つの綱領を深く理解するためにあるのが、スピリチュアリズムのフィロソフィーです。

また、大切な方を亡くした悲しみの渦中にある方は、どなたをどのように亡くされても、「生きる」を知ることは「死」を正しく理解することでもあるため、グリーフの時期を乗り越えるための大きな支えにもなります。

テリーの《スピリチュアリズム個別講座にご興味のある方は、どうぞ下記リンクから講座の内容をご参照の上、お気軽にご連絡ください。講習形態は、対面またはリモート、どちらも可能です。

https://www.mediumterri.com/classes

Love & Light to you all...❤️

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