こんにちは、テリーです。
久しぶりにブログを書いております。
日本はもう真夏のような暑さが続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、私はミディアムという立場で日々たくさんの方々にお目にかかりセッションを提供させていただいております。
霊界との仲介役ですので、グリーフの渦中におられる方のためにご遺族と故人様を繋ぐセッションが圧倒的に多いのですが、それとは別に、今のご自身の人生についてを深い魂のレベルから理解したいという方へのセッションもよくご依頼を受けます。
そして、いずれのタイプのセッションであっても、その流れから、霊的真理のお勉強をお勧めすることが少なくありません。
私の講座は『魂の学び 〜 スピリチュアリズム個別講座』と呼んでいますが、つまりは「スピリチュアリズムのフィロソフィー」イコール「霊的真理」のお勉強です。
その学びを経ると多くの方が自分という存在性や生きる意味ということに真っ直ぐ意識が向くようになります。
そしてまた、その結果として今度はご自身が必要とする方のお役に立てる立場になりたい!という意欲を持って次のステップへ進んで、ミディアムやヒーラーを目指して訓練を受けてくださる方も多いです。
今日ここでご紹介するのは、正に今、そのようにしてスピリチュアル・ヒーリングミディアム(スピリチュアルヒーラー)を目指してトレーニング中の北陸在住 M・Sさんのエッセイ(小論文)です。
M・Sさんもスピリチュアリズムを学ぶまでは暗中模索の時期が続いていた様子。
いわゆる「生き心地」に難しさを感じていたということ。
その辺のことはエッセイの中で、ご自分の言葉で思いを紡いでおられますので、どうぞ皆さんもお読みください。
『魂の学び 〜 スピリチュアリズム個別講座』についてお知りになりたい方は、上のピンクの文字(下線のかかった部分)をクリックしてください。
また、講座についてのご質問等もどうぞどのようなことでもご遠慮なくお気軽にご連絡ください ♡
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私が近代スピリチュアリズムの世界について学ばせていただくようになってから一年が経とうとしています。今回、私は〈スピリチュアリズムと私〉というテーマと向き合うにあたって、一年前までの自分と今現在の自分との違いに着眼点をおいて論述してみたいと思いました。
まず顕著な変化として自覚を伴って言えることとして、自分自身に “安心感” が備わったことを挙げることができます。それは情緒であったり、思念であったり、行いであったり、と様々な側面での落ち着きのようなもので、ブレのないどっしりとした感覚です。スピリチュアリズムについての理解が深まるに連れて、その安定感は私の内面に自然と根づきながら、明るさやしなやかさをもたらしてくれているように感じています。以前の私は、自分の扱いにくさに疲れてしまって、外的な要因によってコンディションを良好に保てないことも度々ありました。そのために、自分自身も自分以外も信頼することができず、いつももがいていました。ですが、スピリチュアリズムの歴史から始まって、基盤である『スピリチュアリズムの七大綱領』についてを丹念に学ぶ時間が持てるようになったことで、長年渦巻いていた生き辛さや、日常生活の中に起こる数々の出来事に振り回されにくくなりました。この世に私自身として生きる意味が分かり、目に見えるものも見えないものも自分を取り巻くもの全てが愛のエネルギーの現れなのだと分かったことで、心が穏やかになり、日々をいとおしむことができるようになったのです。
スピリチュアル・ジプシーのような状態にあった私が、今こうして安住の地に辿り着いたような感触を得られているのは『スピリチュアリズム』という概念が、一般的によく見聞きするスピリチュアルといわれるものとは全くの別物であり、シンプルで、矛盾がなく、一貫性があること。そして、とても現実的でありながら、人間としてこの地上に生きる私たちと切り離すことのできない真理を含んでいるからではないかと私は考えます。普段の暮らしの中で「こういう時、私はどう在るべきか」「私たちは一体どういう存在であったか」と立ち止まり自らに問いかけたくなった時、近代スピリチュアリズムのフィロソフィーはそれに対して真っ直ぐに手がかりを示してくれます。己の裡に備わった何ものにも侵されない崇高な光を思い出すことができ、物質的価値観に囚われることなく、純粋な愛に基づいた選択や理性的な判断をする助けとなってくれます。更には、その先にあるいかなる結果も受けとめようとする能動的な逞しさが内在化したことも、私の今後の人生において、どれほどのプラスに働き支えとなっていくことか。その恩恵の大きさは計り知れません。
さて、前述のようなポジティブな変化は、霊的な学びを始めてから次々ともたらされているわけなのですが、もう一つ特筆しておきたいことがあります。それは、”死” というものに対してネガティブなレッテルを貼らなくなったことです。
“死” は誰にとっても特別な現象であるに違いないはずですが、スピリチュアリズムの道程と理念は、死にまつわる恐怖や、底なしに思えるほどの辛さ悲しさ、やり場のないやるせなさなどを癒すだけの説得力や懐の深さを有していると思います。スピリチュアリズムのフィロソフィーの学びを通じて、私たちの本質は霊界から来ていて霊界へと還る “魂の存在” なのだということを知りました。つまり、霊的視点から見れば、肉体を持った人間としての人生を全うすることは ——いわゆる “この世的な死” を迎えること—— は、長い長い魂の旅路においては、一つの通過点に過ぎないのだということを知ったのです。その理解から、私には、霊界は遥か遠い世界などではなく、むしろ霊界こそが私たちの本来の居場所のようにさえ思えます。・・・・・であるならば、私は「わざわざ」今こうしてここに生命を維持しているのだという認識も否が応でも強くなります。
大いなる秩序のもと、なぜ肉体をまとってこの世に生まれることを我々は望んだのか・・・・・『スピリチュアリズムの七大綱領』の学びを通して、その意味や理由が納得できるようになるに連れて、私の心はいくつもの支流が大きな一つの海原へ行き着いたような静かな安らぎを覚えるまでになりました。と同時に、これまでになかったような “生” への意欲がこんこんと湧き上がってくるのを感じるようにもなったのです。それというのは、生きながらえたいというような執着じみた想いとは異なった "志気"であって、このからだ・こころ・たましいをもって今世を生き抜く醍醐味を存分に味わおうじゃないか!というおおらかな姿勢です。心身のケアを軽んじず、楽しい時間はたくさん笑って、喜び事は素直に受けとり、いたらなさや苦難からは学ぶべきことを学んで、経験を恐れず、収穫を糧にしながら、有限の時間を生きぬきたい!という前向きさです。“死” の捉え方が洗練されたことによって、新たなパワーが生まれ高まっているのです。このことは、生き方に迷い、疑念やもどかしさにまみれていた私にとっては真の救いであり、とても幸福な目覚めであるとの実感があります。
また、“死” は全ての終わりなどではなく、魂は永遠に存続するのだということへの理解は、すでに霊界におられる縁ある人たちや、サポートしてくださっているスピリットの存在をとても身近に生き生きと温かく感じさせてもくれます。地上界と霊界の交わりに深謝の念を常に抱きながら、これからもより絆を深めていけることを今の私は健やかに信じることができています。
今後の課題としては、第一にやはり、霊的真理に沿った生き方に引き続き努め、その場面その瞬間、最善を尽くせる己を育んでいくこと、ということになるかと思います。そのように成し得る範囲で学んだフィロソフィーの実践に励むことで、いくらかは周囲の人や環境に貢献できることもあるのかも知れません。ささやかな心がけの積み重ねが、自らの成長だけではなく、偉大なる創造のエネルギーである大霊はじめ、地球を含む宇宙の全存在の霊的な向上進化の一助にもなり得るのだとの意識を持って、真摯にコツコツと努力を重ねて参りたいと思っています。
スピリチュアリストとしての道程は、誰にでも開かれたものであるものの決して平坦なものではないと想像します。ですが、不完全で未熟な私だからこそ、ワンネスの一雫としてできることや果たせる役割があることを近代スピリチュアリズムの思想はいつ・どんな時も伝えてくれます。動機を重んじ、想念を整え、自らの責任において善き行いを遂行して行きたい。勇気と謙虚さを忘れることなく霊界との共同作業に、はつらつと臨んで行きたい。・・・・・これが今の私の祈りを込めた意志です。そしてできれば、いよいよこの肉体が寿命を全うしたその時には、「色々あったがやり切った! ありがとう!」と、いい表情で旅立って行きたいものだなぁとの願いも私の中には芽生え始めています。
スピリチュアリズムは、私に真の安らぎと凛とした底力と晴れやかな勇ましさを想起させてくれるものです。この無私の愛と尊い叡智に満ちた指針への導きに少しでも報いることができるよう、一歩また一歩と、歩みを進めて参りたいと思っています。
最後に、細やかに惜しみなくご教授くださっている敬愛する恩師テリー髙橋さん、私にスピリチュアリズムの扉を開くきっかけをくださった佐野仁美さん、テリーさん・仁美さんと共に精力的な活動にご尽力くださっている安斎妃美香さん、思いやりいっぱいの家族と友人たち、ご縁をいただいている全てのスピリットの存在へ心からの感謝をここに記して締めくくりたいと思います。
(北陸在住 M・S)